共感と同感の境界線

自分の人生観。押し付けたりはしませぬ。

陰口のすべてが悪いというわけではない

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全ての陰口が"悪"なのかと、疑問に思う時がある。

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もちろん陰口そのものの意味は、決して良い印象があるとは言えない。対象となる人物がいないところで、その人の悪い面について話をする。陰口を言われた側は傷つくものだ。では、陰口がなくなれば、世の中は少しでも平和にことが進むようになるのでしょうか?

 

良い陰口と悪い陰口

もともと悪い意味の言葉に、良い、悪いを付け足すのはおかしいかもしれませんが、ここでいう良い陰口とは、人の心にプラスに働く、ときには必要な陰口のことを言います。悪い陰口とは、陰口そのままの意味で捉えていただいて結構です。

さて、必要な陰口とは一体何なのか。

 

対人関係のストレスを吐き出す

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別の言い方をすると"愚痴"ですね。世の中にはいろいろな考えをもった人がいます。その中には、身勝手で理不尽な人もいます。多くの人と関われば関わるほど、こういった人と対面していく機会が必然と増えていくものです。


中には酷い仕打ちを受けている人もいることでしょう。それを溜め込むのはとてつもなく酷なことです。そのストレスを自分ひとりで発散できる人も稀にいますが、ほとんどの人が、そこまで生き方が上手だというわけではないと思います。

陰口をいうのが良くないこととはいえ、溜め込み過ぎるのは体に毒です。実際に、こういったストレスを自分ひとりで抱えてしまい、体を壊してしまった人を僕は何人か見てきました。"陰口が嫌い、だから自分は何を言われても、人のことは悪く言わない・・"その純粋な一心が、逆に自分自身を苦しめてしまうのです。非常に居たたまれないですね。

理不尽に自分のことを攻撃してくる人などの陰口は、遠慮せずに言うべきだと思います。そんな人のせいで、自分が苦しむなんておかしな話です。そういう人は陰口を言われて当然です。

現に、先ほど例に挙げた体を壊してしまった方も、少しは愚痴をこぼすようにしたところ、体調が安定していきました。

 

言われた側は?

身勝手で理不尽な人が陰口をたたかれ、それが本人の耳に入った場合、やはり多少なりとも傷つきはするでしょう。しかし傷ついて当然のことをしているので、そこに対しての同情は必要ありません(同情してもその優しさを踏みにじられる可能性が高いです)。問題なのは、その先です。

その傷を怒りにかえるか、反省するきっかけにするか、もともと本人の持ち合わせてる心の広さによってかわります。

しかし残念ながらほとんどの人が、怒りにかえて、さらに攻撃をしてくることでしょう。なので、あまり荒波をたてたくない場合は、本人の耳に入らないように細心の注意が必要です。

しかし、傷つき、悲しみ、それが反省するきっかけにかわり、更生していくという人も稀にいます。

理不尽で身勝手な振る舞いをしている人も、そうなったのにはいろいろと複雑な理由があるんですよね。それこそ過去、心に大きな傷を負った経験がきっかけだったり・・


なんだか難しくなってきたので、そのことについてはまたいつか(^_^;)



このように、陰口は時として必要なものです。まずは自分の心と体を大事にし、その次に、他人を思いやる姿勢でも、おかしくはないと思います。