共感と同感の境界線

自分の人生観。押し付けたりはしませぬ。

「人生は短い」という言葉を胸に

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昨日、職場の上司が満65歳を迎え、定年退職となりました。

その方とは一度も同じ部署で仕事をした事がないけれど、休憩時間が重なると、こんなちゃらんぽらんな僕に、いつも優しく接してくれていた。

数年前まではよく冗談ばかり言っていたが、定年が近づいてきたせいか、特にここ数カ月は、その方自身の歩んできた人生、長年勤めてきた会社への思い、定年後の事など、少しばかり難しい話を僕に投げ掛けるようになっていた。

とても・・とても有意義な時間でした。

その話の中で一度だけ、「人生は短いんだから・・」と、口にしていたのを記憶している。

その時は、さほど気にも留めなかった。というのも、その他に口にされていた言葉がどれも深いものばかりだったので、薄れてしまっていたためだ。

それに、“歳を重ねるごとに月日が経つのが早く感じる”だとか“悔いのない人生を歩め”だとか、“若いうちにやりたいことをやっておけ”とか、その様なことは今まで人生の先輩方から散々聞かされてきている。


“人生は短い”

上司が放ったこの言葉も、それらの言葉の類としてしか受け止めなかった。いや、受け止めてすらいなかったかもしれない。


5日ほど前、休憩中に顔を合わせたときに、半分冗談交じりに「最後の日は会えるといいね。」と言われた。

会えないことも考慮し、お互い深々と挨拶して、その場を去った。

浅はかかもしれないが、きっと最後の日も会えると思ったので、ここでは100%の気持ちは出さないでいた。こういう気持ちは、出来れば最後の日に伝えたいものだ・・と。



そして退職当日、ようやく自分の仕事が一段落つき、事務所付近を歩いていたところ、本当に偶然、その方とすれ違い、顔を合わせることが出来た。

どうやら事務所で最後の挨拶を済ませ、会社を出る為、出口に向かう途中のようだった。

まさに間一髪。この偶然は本当に嬉しかった。


しかしながらこれと同時に恥じる面もあった。あろうことか、この日は仕事に追われ、クタクタで体調も悪くなってしまい、この方の退職日だということをすっかり忘れてしまっていたのである。

この時顔を合わせてハッと思いだしたのだ。本当に情けない。最低だ。



しっかりと向き合い、僕が労いの言葉を口にするより先に、スッ・・と、上司が右手を差し出してきた。

僕がその手を握ると、がっしりとかたい握手をしたまま一言、こう言われた・・



「人生は短いんだから・・・」



この時、その言葉の深さが身に沁みた。


表面的に捉えられる意味なんかではない。

その人自身の歩んできた生き様、人生観から発せられた言葉。

その言葉が、未熟者の僕の胸を打った。



上司はその一言だけ言い放ち、手を離した。

その先言わんとすることは自分なりに理解出来た。理解出来なかった面もあるだろうけれど、いずれその答えが分かる日もくるだろう。その時、この上司の言葉に感謝できるような、幸せな日々を過ごしていたいものだ。


それから僕は、自分なりの感謝の気持ち言葉にし、お互い深々と挨拶をし、別れた。



上司の背中からは寂しさがうかがえた。



人生は短い・・・僕はこれからどの様な人生を歩んでいくのだろう。

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