共感と同感の境界線

自分の人生観。押し付けたりはしませぬ。

お金があれば幸せな生活が送れるのか?「楽しい」と「幸せ」は違う。

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"お金があれば幸せになれる"

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今までの人生で、何度も何度も耳にしてきた言葉です。


賛否はあると思いますが、僕のまわりにもこの"お金があれば幸せになれる"という言葉に賛同している人が何人かいます。つい先日も、この言葉を口にしていた人がいましたので、僕自身、その言葉に対して思うことがありましたので、ちょいと語ってみたいと思います。

 

お金があれば不幸にはならない

というのが、僕自身の考えです。僕は、"お金があれば幸せになれる"という言葉には、あまり共感が得られません。そもそもお金なんてなくったって、人は幸せになれると思っています。もっと細かく言うと、"お金がなくても、幸せと出逢うことができる"というふうに思っています。

 

気持ちに余裕がなくなるのは事実

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当然ですが、"お金がなくても"というのは、"必要最低限の収入があれば"という意味合いです。しかし、最低限の収入で、毎月ギリギリの生活では、気持ちに余裕が持てなくて、優しさを忘れてしまい、大切な人に酷くあたってしまう場合もあります。借金なんてあったら尚更だと思います。出費を抑えるため、友人や職場の人との付き合いも疎かになってしまい、だんだんと笑顔も薄れていく・・。そうなってしまっては、幸せも薄れて行くように思えてしまいます。


となると、やはり幸せな生活を送るためには、たくさんのお金が必要になってくるのでしょうか?

僕の友人の1人に、これと全く同じ意見を強く主張してくる人がいます。

『お金があれば奥さんや子供に当たり散らかすようなこともなくなる。生活に余裕もできて、笑顔も増える。幸せなれる。だから、絶対にお金は必要だ。大金を掴む意外に幸せになる方法はない。』

何を言ってもこの考えを曲げず、こう主張し続けます。自分の意志を貫くことはとても立派なことだと思います。でも、それって本当に"幸せ"なのでしょうか。

 

本当の幸せを心で理解していないのかも

どうやらその友人は、自分の父親が反面教師らしく、自分は必ず将来満足のいく収入を得られるようにすると心に誓っているようです。これも凄く立派なことですね。

でも、僕が思うに、彼はまだ本当の幸せを知らないだけなんじゃないかと思います。彼は結婚していないどころか、今現在彼女すらいません。心から好きになった女性もいないようです。

つまり、彼の言う幸せは、頭で思い描いているただの"理想"でしかないのです。


僕の仲の良い別の友人に、結婚していて子供もいる人がいます。その友人の生活は、はっきり言ってギリギリのラインを超えています。でもその友人は、奥さんや子供の話をするときは、いつも"幸せ"そうな顔をします。

そう、これが僕の思う本当の幸せです。互いに愛する人、互いに信頼できる仲間と一緒にいられることが、何よりの幸せだと思います。それを得るためには、多くのお金は必要ないです。(大切な人に苦労をかけないためにも、ある程度のお金は必要だとは思います。)

"お金の切れ目が縁の切れ目"なんて言葉がありますが、そんなことで切れてしまうような縁なんて、始めから薄っぺらい縁なんだと思います。

 

お金があれば笑顔にはなれる

お金があれば気持ちに余裕ができ、笑顔で楽しい生活を送ることができます。でも、それだけでは本当の幸せを得ることは出来ません。

"楽しい"と"幸せ"は似ているようで、全く別の感情です。

"お金があれば幸せになれる"という考えに賛同している人の中には、ここを理解していない人も大勢いるのだと思います。

 

人それぞれの幸せの定義

以上のような理由で、僕は、『お金があれば不幸にはならず笑顔でいられるけど、必ずしもそこに幸せが付いてくるということではない』というふうに思っています。『幸せ=お金』ではないということです。お金がなくても、幸せを掴むことは出来ます。

でも、これはあくまで僕自身の考えであって、万人に共通する意見ではないと思います。と言うのも、自分の意見に自信がないからということではなく、人それぞれに幸せの定義・感じ方が異なると思うからです。

それを言ってしまったら今まで語ってきたことはなんなんだったんだという気もしますが、愛や友情を熟知した上で、そんなものより、美味しい高級料理を食べている一時が、この上ない程の幸せを感じるって人もいるとは思うので・・。


何にせよ、幸せとは別として、お金があるに越したことがないのは紛れもない事実ですね。