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共感と同感の境界線

自分の人生観。押し付けたりはしませぬ。

あなたはこの信号を渡れますか?

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そんなに急いでいる訳ではないけど、できれば早く目的地に着きたいなぁなんて状況だとします。

あ、因みに徒歩です。


てくてくと歩いていたら、目の前にはとても短い横断歩道がありました。

信号は

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辺りに車や人の気配はない。別に渡っても誰に注意される訳でも迷惑を掛ける訳でもない。

あなたはこの状況で横断歩道を渡りますか?


おそらく注意しながら渡る人が多いのではないでしょうか?少なくとも僕はそうです。


では同じ状況で、しっかりと信号待ちをする小学生くらいの子供の姿があった場合、あなたはどうしますか?

僕は、(しっかりルールを守って偉いな・・ここで大人が堂々と赤信号で渡る訳にはいくまい)と思い、ほっこりと信号待ちをします。


ではまた同じ状況で、その横断歩道を多数の大人が渡っていて、子供1人だけポツンと信号待ちをしていた場合はどうでしょうか?


先程までの問いには比較的すんなりと答えが出たのに、今回の問いには答えを詰まらせてしまった方もいるのではないでしょうか?

恥ずかしながら、僕はその1人です。

自分で状況を細かく設定しているのにもかかわらず、『あ~これはその時の状況によるなぁ・・』なんて思ったりもしてしまいました。

こんな自分が情けない。

ここは迷わず「自分も青信号まで待つ」と即答できるのが望ましいと思います。



実際僕の家の近くには、大人だったら大股2、3歩程度の信号機付きの短い横断歩道があります。


車の気配がないのにしっかり青信号になるまで待つ人、左右確認して注意しながら渡る人、毎日のようにその光景を見ていて思います。

やはり世の中には色々な人がいるんだな・・と。


しっかりルールを守って信号待ちする人は偉いと思うけど、注意しながら渡っていく人を道徳がないなんていうふうには思わない。

でも、先程の例のように、子供がしっかり信号待ちをしていた場合はどうだろう?

その場合は、道徳がないと捉えてしまう人もいるのではないだろうか?


“渡り方”は同じなのに。


信号待ちしているのが子供に限っての話ではなく、例えばしっかり信号待ちしているのが自分だった場合、その横を青信号になるのを待たずにてくてくと通り過ぎる人がいたとき、少なからずなにか感情が動くはずだ。でも、別になんとも思わないって人もいると思います。


こう考えると、道徳というものは個人だけに依存している価値観より、相手の価値観によって大きく左右されるものなんだなぁと・・


例えば、ある程度混雑している電車の中で、携帯電話でギャーギャーと大声で長時間通話をしている人がいて、その車両に乗り合わせている人全員がそんなの全く気にしない、これっぽちもストレスを感じないっていう人しかいなかった場合、これはマナー違反になるのだろうか。


決められたマナーと、個人の価値観のマナーは必ずしも一致しない。

だからこそマナーを破る人も出てくる。むしろそういう人はマナーを破ってる感覚自体がないのだと思う。


道徳やマナーの価値観は人それぞれだ。正しいと思ってやったことが、逆に人を傷つけてしまう場合だってある。

いくつもの感情が頭を巡って、自分の善意に自信がなくなってしまい思うように動けなくなるときもある。


そうならない為に、もっと自分の中の道徳や善意に自信を持って生きるべきなんだと思います。