共感と同感の境界線

自分の人生観。押し付けたりはしませぬ。

誰か柔軟性をください

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読者との距離感

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ブログ運営を続けていてふと思ったのですが、ブログって読者の事を考えて書くのと自分の事を考えて書くのと、どちらが望ましいんでしょうか?

読者のコメントや反応を見て、それをヒントに内容を膨らませるか、単純に自分の書きたい事だけを書くか。

前者はエントリーにファンが、後者は筆者にファンが着くというところでしょうか。


どちらが望ましいかは、それぞれのテーマや目的によって違うと思いますし、結局のところ両方重要な気もしますが・・。

要はバランスですよね。そもそも自分が書きたい事があってのブログですし。


ここで言いたいのは、“どれくらい読者の事を考えればいいか”ってことです。

多数いる読者の中から狭く的を絞ると全体のウケが悪くなるし、広すぎてもエントリー自体の需要が薄くなる。

読者のことなんて何も考えないなんて論外・・なんて思うかもしれませんが、意外にそうやって適当?に書いた記事が大勢の人にウケたり・・。

この読者との見えない距離感・バランスを取るのって非常に難しいことだと思います。

この距離感を何も考えずに自然に取れる人もいると思いますし、狙って器用に取れる人もいると思います。


・・・僕には両方出来ない^^;

 

ネットの世界では柔軟性が必要不可欠

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そもそもなんでも考え過ぎちゃうんですよね。酷い時は読者ひとりひとりの事を考えて頭がこんがらがっちゃうなんてことも^^;

実際は顔も細かな性格も分からないので、考え過ぎたってそこにあまり意味は見出せないんですがね。


自分は“みんなで仲良く楽しくやろうよ”という思考が人一倍強い人間です。

誰とでも喋れるし、その場の空気を良くすることに自然と努めてしまう。それが楽しい。でも、後々「みんな楽しんでたかな?」と酷く考え込んでしまう時もある。

ネット以外のリアルな?世界では、この性格のお陰でプラスな面もそれなりにあるが、ネットの世界ではこういった性分はかなりネックだと思う。

この“考え込んでしまう”ところが本当にネック。いろいろと、きっと考える必要のないことまで考えてて、なかなか踏み出せないことが沢山ある。

その根底は、“ネットはその人の表情が窺えない”というところにあるのだろう。

僕みたいに良くも悪くも過剰にその人の感情や表情を読み取って人と会話をする人は、相手の表情が読み取れないと本当に弱い。なんだか不安になる。

オンラインゲームのチャットとか、一言一言に注意を払ってしまい、なかなか心から楽しむ事ができない^^;

ネットの世界では柔軟性が必要不可欠なんだなと、ブログを運営していてつくづく思い知らされました。

むしろこの“柔軟性”というものが一番大事だと思います。これ以上に大事なことはないんじゃないかな?


と、思うくらい柔軟性が欲しいっす(笑)だれかおくれ(ノД`)