共感と同感の境界線

自分の人生観。押し付けたりはしませぬ。

書きたい事は小出しにしないことにした

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このブログを立ち上げた当初、自分は意志が弱い人間だと何度も言った。

そんな自分だから、このブログともうひとつのブログ、計2つのブログ毎日継続しようと決意し、とりあえず今のところ50日くらい?は毎日継続が出来ている。

決意したことをやり遂げて、意志の弱い自分を打破しようという目論見だ。

傍からすればちっぽけな内容かもしれないが、僕にとってはとても意味のあることだ。

意志が弱くて怠け者だから、自分で決意して成し遂げたことなんて、考えてみれば何一つもないかもしれない。

ゲームをやりこんで攻略したことくらい?(笑)

気分屋なんですよね。どんなに強く心から何かを決意したとしても、結局それはその時の気分がそうさせただけであって、少し時間が経てば気が変わって、違う物に目を向けたりして・・

「また次から頑張ればいっか」

の繰り返し。

クズですね。どうしようもない甘ちゃんだ。

次からじゃなくて、今、今日頑張らないとダメなんですよね。

今を頑張らない人に次はない。それが今になってやっと分かり始めたので、自分なりに心を入れ替えたつもりで、毎日ブログを継続している。

そう・・・・“入れ替えたつもり”ね。

こうして毎日ブログを継続してても、実際は何も変わってはいないと思う。

毎日継続できてることは、自分の中で何かしらプラスにはなるだろうけれども、根本の“怠け者”“気分屋”ましてや“意志が弱い”ってところは、何も変わってない。

それはこのブログのスタイルに表れている。

もう1つのブログは、型が出来ている内容なので、それに沿って自分の考えを乗せていけばいいのですが、このブログはテーマが曖昧だ。

僕の場合、このテーマが曖昧という状況で毎日記事を作成するとなると、自分の性格が面白いほど滲み出る。

少し前までは、「すぐ感情的になる人」についてだらだら語っていて、「まだまだ書きたい事があるので、しばらくはこの内容でいく」と言っておきながら、これです(笑)

その話はどこへ行ったんでしょうね^^;

とまぁこんな具合に、その時は「感情的になる人」について心を動かす何かがあって、その感情をブログにぶつけたかったんでしょうけど、時間が経つにつれてその感情も薄まっていき、今ではあまり興味すらなくなってきている。

“興味がない”というのは少し違うかもしれないが・・・少なくとも今はまた他のことに目を向けてしまっている。

まさに気分屋^^;

でもブログのスタイルは自由だと思うので、それはそれで良いと思うんですよ。良く言えばそれも一つの味として出るかもしれない。

でも・・・それは自分だけの話。

読み手からすればとんでもないことだ。

嬉しい事にこんなブログでも読者様がいる。こんなに喜ばしい事はない。

それなのに、こんな気分屋な内容のブログを展開するのはどうかと・・

書き手と読み手がいて、初めて“ブログ”というものが成立すると思う。だから、自分の気分だけでめちゃくちゃに内容がころころ変わるのはよろしくないはずだ。

そもそも“気分屋=意志が弱い”という捉え方もできるようにも思える。

だからこの根本を変えて行かなければならない。

ただブログを毎日更新するだけでは、結局なにも変わらないし、読者様にも失礼だ。

なので、ここでまた一つ決めごとを作ろうと思う。


「書きたいことは1記事に全部書く」


この縛りを設けることにする。

今までは、自分の考えを小出しに書いていた。その方が、次のネタがなくならないで済むと思ってたからだ。

「そろそろ1000文字いきそうだし、今日はここらで締めるか」みたいな時も多々あった。単に時間がないということもあったが、そんなの言い訳だ。

でもその結果、内容が中途半端なところで別のことに目を向けてその話が終わってしまったり、続きを書こうとしても次の日には何書きたかったか忘れてしまったりと、色々と良くない結果となる。

こんなのではダメだ。そんなの“ただ継続しているだけ”だ。言わば作業。なんの意味もない。自分自身なんの成長も望めない。

その新たな縛りで、気分屋な部分は治るとは思えないが、それを継続させられれば意志が弱い自分は少なくとも良い方向に向かっていくと思う。

なので、その時書きたいと思って浮かんだ事は、その記事に最大限詰め込もうと思う。