理不尽な事柄や無駄なストレスに感謝してみてはどうだろう
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仕事、人間関係などなど、生きていると辛いことが多々ある
嫌なことほど、胸に深く刻まれ、その問題が解決・解消されたとしても、ときに脳裏をよぎる。どんなにまっとうに生きていても、いつかはまたストレスにぶち当たり、気持ちに余裕がなくなる。
・・・それでいい。
厳密にいうと、その状態は望ましくないが、その経験は非常に重要だと思う。
人は、自分の気持ちに余裕があるときほど、他人にやさしく手を差し伸べてあげられる。多少自分を犠牲にしてでも。
人のやさしさに救われたことがある人は、たくさんいるはずだ。
そのときの温かみを胸に抱き、自分も困ってる人を見掛けたら、助けてあげたい、救ってあげたいと思うのが当然だ。
しかし、人は気持ちに余裕がないとやさしさを忘れてしまう。時には理不尽に八つ当たりしてしまうときもある。大切な友人、家族、恋人にさえも・・
余裕がないと他人にやさしくできない・・・だから、常に気持ちに余裕を持ち、やさしくあるためには、険しい道は避けて通るのが望ましいように思える。
しかし・・・
痛みを知らなければ、他人にやさしくすることなんてできない。
自らが痛みを経験しなければ、他人の痛みになんて気付けない。
気付けたとしても、その痛みは到底理解できない。
痛みを知らない奴の「大丈夫?」なんて薄っぺらい言葉はいらない。
欲しいのは"本当の気持ち"
痛みを知っているからこそ、人は人にやさしくできる。
だから、辛い思い、痛みを知ることは生きていく上で非常に大切なこと。
それを乗り越えてこそ、本当のやさしさを得て、人に与えることができる。
そう思えば、理不尽な事柄、無駄なストレス・・全てがありがたい。